過去から学ぶ「感染症」の歴史

2020年9月3日

Photo credit: Sanofi Pasteur on Visualhunt / CC BY-NC-ND

2019年12月に発生し、今だ終息の兆しが見えない新型コロナウイルス。

自粛要請やロックダウンなど、人々の協力により一旦は感染者が減ってきたものの、最近になって第二波と思われる増加をみせ、再度自粛の流れになりつつある今日。

終わりの見えない未来に、人々の疲れは日増しに色濃くなっていく。

過去にも幾度となく人々を苦しめたパンデミック。

過去のパンデミックはどのように発生し、どのように終息していったのか?
今回は歴史的に起こったパンデミックを紹介し、過去から学んでいきたいと思う。

アジア風邪/香港風邪(1957年-1958年/1968年-1969年)

インフルエンザにより死者75万~100万人を出したアジア風邪と香港風邪。

アジア風邪は中華人民共和国南西部で発生し、シンガポール・東南アジア各地・日本・オーストラリア・アメリカ・ヨーロッパなど、世界的に流行した。

しかし致死率はスペイン風邪と比べかなり低く、死亡者は乳児と高齢者に限定されていた為、新型コロナウイルスのように経済活動が縮小することはなかった。

香港インフルエンザも同様に致死率は低い。

Photo credit: USAID Asia on VisualHunt / CC BY-NC

スペイン風邪(1918年-1920年)

世界でおよそ5億人が感染し、1700万~5000万人の死者を出した人類史上最悪の感染症の一つ。

このインフルエンザは鳥インフルエンザが突然変異したもので、当時において全く新しい感染症であり、人々は抗体を持っていなかった。

加えて当時は第一次世界大戦中に発生したという事もあり、各国での病状や死亡の初期報告は最小限に抑えられていた為より感染が拡大し、若年成人の死亡率が高かったことも相俟って、多くの死者を出した。

そして終息は生き延びた人々が免疫抗体を持ち、自然と終息していったので、治療法等は今なお確率されていない。

スペイン風邪とあるが、スペインが発生源ではなく、このインフルエンザを一番初めに大きく報じたのがスペインであった為、この名がついた。

黒死病(1347年-1352年)

Photo credit: jaggitha on VisualHunt / CC BY-NC-SA

ペスト菌を媒介するノミが付いたままのクマネズミが船の積み荷などと共に中世ヨーロッパに運ばれ、そのノミが人を刺し肺ペストを起こすことで人から人へと感染し、7500万人以上の死者を出した黒死病。

ペスト自体は3度パンデミックを起こしており、一番被害の多かったこの黒死病は2度目のときに猛威を振い、感染すると2日~7日で高熱や頭痛、錯乱状態を引き起こした後、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍を出して死亡する。

この黒死病は当時の農奴制に大きな影響を及ぼし、農民の待遇は改善されるとともに地位を高めた他、封建制度から中央政権国家へ変わるなど、政治的・社会的影響は多岐にわたった。

現在この感染症は、抗生物質による治療が出来るようになったものの、ワクチンは作られていない。そして今もなお、年間2000人の感染患者を出している。

天然痘(1518年-1568年)

天然痘の原型となるウイルスを持つ野生動物が人の間で広まっている内に、人にだけ感染するよう進化したウイルスで、根絶するまでに人類の1/3の命を奪ったとされている恐ろしいパンデミック。

飛沫や接触により感染し、頭部や顔面を中心に豆粒状の丘疹が生じるとそれが呼吸器や消火器などの内臓にも同じように現れ、重篤な呼吸不全によって最悪死に至る。

コロンブス時代のアメリカから中国・朝鮮半島に感染拡大し、朝鮮半島から日本へと移ると瞬く間に大流行し、あの「独眼竜」で知られる伊達政宗もウイルスに感染し右目を失明した他、天然痘を切っ掛けに奈良の大仏が建造されるなど、社会的・宗教的影響を及ぼした。

この天然痘は1980年に根絶され、人類史上初めてにして唯一根絶に成功した感染症となった。

まとめ

被害の少ないものから、世界の歴史を変えてしまう程の甚大なものまで、地球に存在する感染症やウイルスの殆どに対し、我々人類はその都度奮闘する状態だ。

だがウイルス研究や医療技術、防疫体制などの進歩と絶えまぬ努力のお陰で、少しずつ自己防衛しやすい環境になってきているのも確かだ。

新型コロナウイルスで肉体的に、そして経済的に苦しい状況が続いているが、必ず訪れる終わりまで何とか生きてその日を迎えたいものである。

 

 

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