【創作怪談】裏アカウントの「イイネ」

最近、SNSの一部で密かに話題になっている都市伝説がある。

その怪異の名前は、

「イイネ」

という。

有名な都市伝説ではない。

動画サイトで大きく取り上げられているわけでもなければ、まとめサイトに詳しい情報が載っているわけでもない。

SNSの怖い話を扱う掲示板や、削除寸前の投稿などで、たまに名前が出てくる程度だった。

しかし、その噂には必ず同じ条件が書かれていた。


誰にも知られていないアカウント

「イイネ」が現れるのは、普通のSNSアカウントではない。

誰にも存在を教えていない、完全な裏アカウント。

しかも、フォロワーが一人もいない非公開アカウントである必要があるという。

そこで日常の愚痴や不満を、誰にも読まれないと思いながら投稿し続ける。

すると、ある日突然。

投稿した直後に通知が届く。

「1件のいいね」

もちろん、おかしい。

フォロワーはゼロ。

非公開なので、知らない人が投稿を見ることもできない。

それなのに、必ず一つだけ「いいね」が付く。

そして、その「いいね」を押したアカウントを開くと――

プロフィール画像には、真っ黒な人型が表示されているらしい。

アカウント名は、

「イイネ」

ただ、それだけ。

もっと不気味なのは、その後だ。

「イイネ」に反応された人間は、数日かけて少しずつこの世界から消えていくという。

最初に消えるのはSNS上の記録だ。

昔の投稿が消える。

コメントが消える。

アップロードした写真から、自分だけが消える。

その次に、周囲の人間の記憶から消えていく。

そして最後には、

本人そのものが、現実世界からいなくなる。

当然、僕は信じていなかった。

ネットによくある作り話だと思っていた。

だからこそ――

自分で試してみようと思った。


午前2時の実験

僕は大学生だった。

昔からオカルトや都市伝説が好きで、ネット上の怪談を調べるのが趣味だった。

その日の深夜。

時刻は午前2時を少し過ぎていた。

僕は自分の部屋で、実験用のSNSアカウントを作った。

誰にも教えない。

プロフィール画像も設定しない。

名前も適当。

IDは意味のない英数字をランダムに並べた。

もちろん非公開設定。

電話番号から検索されないようにし、連絡先との同期も切った。

おすすめユーザーにも表示されないよう、設定できる項目はすべて確認した。

フォローしている人はゼロ。

フォロワーもゼロ。

つまり、

僕以外、このアカウントの存在を知っている人間はいないはずだった。

少し迷ったあと、最初の投稿を書いた。

「誰も見ていない」

投稿ボタンを押した。

当然、何も起こらない。

僕は少し笑った。

「やっぱりただの都市伝説か」

そう思いながら、画面を一度更新した。

その瞬間だった。

ピコン。

通知欄に赤いマークが点灯した。

そこには、

「1件のいいね」

と表示されていた。

背中に冷たいものが走った。

投稿してから、まだ一秒ほどしか経っていない。


イイネ

僕はしばらく通知画面を見つめたまま動けなかった。

何か設定を間違えたのかもしれない。

SNSの自動アカウントかもしれない。

そう考えて、僕は「いいね」を押した相手のプロフィールを開いた。

画面に表示されたプロフィール画像を見て、息が止まった。

真っ黒な背景。

その中央に、

黒い人間のような形。

顔はない。

目もない。

ただ、人の形をした黒い何かが立っている。

アカウント名は、

「イイネ」

噂と同じだった。

僕は自分に言い聞かせた。

誰かがこの都市伝説を真似して作った偽物に違いない。

そう思いながら、投稿一覧を開いた。

投稿は一件だけだった。

固定された一枚の写真。

僕はその画像を開いた。

数秒間、何が写っているのか理解できなかった。

白い天井。

小さな照明。

部屋の隅に貼ったポスターの端。

全部、見覚えがあった。

いや。

見覚えがあるどころではない。

僕の部屋だった。

しかも、その写真は、

今この瞬間、スマートフォンを見ている僕を真上から撮影したものだった。


天井

写真の中央には僕がいた。

机の前に座り、スマートフォンを覗き込んでいる。

服も同じ。

机の上に置いた飲みかけのペットボトルまで同じだった。

撮影されたのは、間違いなく今だ。

僕はゆっくりと天井を見上げた。

何もない。

カメラもない。

誰かが隠れられる場所もない。

それでも、SNSの画面には、

僕の真上から撮られた写真が存在していた。

急に怖くなった。

もう実験なんてどうでもよかった。

僕は慌てて裏アカウントを削除した。

さらにSNSのアプリ自体もアンインストールした。

スマートフォンの電源まで切って、机の上に放り投げた。

しばらく眠ることもできなかった。

それでも朝方になって、僕はいつの間にか眠っていた。


翌朝

目が覚めると、外は明るかった。

僕は昨夜の出来事を思い出した。

しかし、朝になってみると急に馬鹿らしく思えた。

疲れていたのだろう。

写真だって、何かの仕掛けかもしれない。

そう思うことにした。

いつものように着替え、大学へ向かった。

講義室へ入ると、いつもの友人たちが集まっていた。

僕は声をかけた。

「おはよう」

返事がない。

聞こえなかったのだと思い、もう一度声をかけた。

「おはようって」

友人の一人がこちらを向いた。

一瞬だけ目が合った気がした。

しかし、

そのまま視線を僕の向こう側へ移した。

そして友人たちは普通に会話を続けた。

「次の講義、教室どこだっけ?」

「たしか三号館」

僕が目の前に立っているのに。

誰も僕に話しかけない。

誰も僕を見ない。

まるで、

最初から僕なんて存在していないようだった。


触れられない

嫌な予感がした。

僕は友人の肩を掴もうとした。

「おい」

手を伸ばした。

次の瞬間、

僕の手は友人の肩を、

そのまま通り抜けた。

何の感触もなかった。

服にも触れない。

皮膚にも触れない。

僕の腕は、煙の中に手を入れたように友人の身体をすり抜けていた。

「……え?」

何度も触ろうとした。

しかし同じだった。

机には触れられる。

自分の鞄にも触れられる。

なのに、

人間にだけ触れられない。

そして僕の声も、誰にも聞こえていなかった。

そのとき。

ポケットの中で、スマートフォンが激しく震えた。

僕は反射的に取り出した。

昨日、SNSのアプリは削除したはずだった。

それなのに。

画面には見覚えのある通知が表示されていた。

「新しい反応があります」


「2」

勝手にSNSアプリが起動した。

削除したはずの裏アカウントも復活していた。

プロフィール画像もない。

ランダムなID。

昨夜作ったものと、まったく同じだった。

投稿も残っていた。

「誰も見ていない」

その下にある「いいね」の数字を見て、僕は固まった。

昨日は、

「1」

だった。

今は、

「2」

になっていた。

誰が押した?

恐る恐る一覧を開いた。

一つ目は、あのアカウント。

「イイネ」

そして二つ目のアカウントには、

僕自身のIDが表示されていた。

僕は「いいね」なんて押していない。

それどころか、アカウントは削除したはずだ。

画面が一瞬暗くなった。

黒い液晶に、僕の顔が反射した。

そこで、さらに異変に気づいた。

自分の顔が、薄い。

画面の向こう側が透けて見えていた。

慌てて自分の手を見る。

指先が半透明になっている。

床の模様が、手の向こう側に見える。

足元も少しずつ薄くなっていた。

僕の身体が消え始めていた。


記録から消えている

僕は大学を飛び出した。

走りながら、自分のスマートフォンの写真フォルダを開いた。

友人と撮った写真を見る。

数日前まで、中央には僕が写っていたはずだった。

しかし今は、

僕がいた場所だけ、不自然な空間になっている。

友人たちだけが並んでいる。

僕だけがいない。

家族との写真も同じだった。

高校の卒業式。

旅行。

成人式。

どの写真からも、

僕だけが消えていた。

次に連絡先を見る。

母親とのメッセージ履歴を開いた。

そこには、母親から送られてきた文章しか残っていなかった。

僕が送ったメッセージはすべて消えている。

まるで母親が一人で会話していたようになっていた。

僕の名前を検索した。

結果はゼロ。

大学の学生ページにログインしようとした。

「登録されていない学生番号です」

僕はそこで初めて理解した。

これは透明人間になる怪異ではない。

僕という人間が、この世界の記録から消されている。


自分の部屋

僕はアパートへ戻った。

幸い、まだ鍵は開けられた。

部屋に入り、大きな姿見の前に立った。

鏡に映った自分を見て、言葉を失った。

身体の半分以上が透明になっていた。

服も肌も薄くなり、背後の壁紙が透けて見える。

顔も輪郭がぼやけていた。

僕は鏡に近づいた。

自分の顔を見ながら、名前を口にした。

「僕は……」

そこで言葉が止まった。

自分の名前が、一瞬出てこなかった。

「……僕の名前……」

思い出せない。

何度も考える。

大学の友人の名前は分かる。

母親の名前も分かる。

でも、

自分の名前だけが分からない。

噂に書いてあった言葉を思い出した。

最後には現実世界から存在ごと消える。

もしかすると最後に消えるのは、

他人の記憶ではない。

自分自身の記憶なのかもしれない。


「見ているよ」

そのとき。

机の上に置いていたスマートフォンの画面が勝手に明るくなった。

ピコン。

通知が表示された。

送信者は、

「イイネ」

ダイレクトメッセージが一件届いていた。

指が震えた。

それでも僕はメッセージを開いた。

そこには一枚の写真が添付されていた。

僕は写真を見た瞬間、スマートフォンを落としそうになった。

写っていたのは、

今、鏡の前に立っている僕だった。

半透明になった身体。

手に持ったスマートフォン。

鏡を見つめて青ざめている顔。

そして写真は、

僕の部屋の隅から撮影されていた。

僕は反射的に、その方向を見た。

何もいない。

ただ

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