【創作怪談】影を喰う「ナナシ」

最近、ネットのオカルト掲示板やSNSで、密かに囁かれている現代妖怪がいる。

その名前は、

「ナナシ」

いつ頃から噂されるようになったのかは分からない。

古い妖怪図鑑に載っているわけでもないし、昔話に登場するわけでもない。

ネットが普及してから突然現れた、いわゆる「現代妖怪」らしい。

ナナシを呼び出す方法は、とても簡単だった。


ナナシを呼び出す方法

まず、深夜に一人で外へ出る。

そして、誰もいない場所にある街灯の下に立つ。

そこで自分の影を見る。

普通なら、街灯に照らされた影にははっきりとした輪郭がある。

しかし、ごくまれに、

影の端だけが煙のように揺らいで見えることがあるという。

その状態になったとき、

「消したい人間の写真」を一枚破る。

するとナナシが現れる。

そして、破られた写真に写っている人間を、

この世界から少しずつ喰い尽くしていく。

「喰う」といっても、本当に身体を食べるわけではない。

その人の写真。

名前。

記録。

周囲の人間の記憶。

そして最後には、

その人自身の存在まで消してしまう。

最初からそんな人間はいなかったことになるのだという。

もちろん僕は信じていなかった。

よくあるネットの都市伝説だと思っていた。

だからこそ、

本当にそんなことが起きるのか、試してみたくなった。


元カノの写真

僕は大学生だった。

オカルトや都市伝説は昔から好きだったが、本気で信じているわけではない。

どちらかというと、

「どこまで本当なのか確かめてみたい」

という好奇心の方が強かった。

そこで僕は、ナナシの噂を実際に試してみることにした。

問題は、

誰の写真を使うか。

だった。

友人や家族の写真を破る気にはなれない。

どうせ何も起こらないと思っていても、なんとなく気分が悪かった。

そこで思い出したのが、高校時代に付き合っていた元カノだった。

別れ方はあまり良くなかった。

最後の頃は喧嘩ばかりしていたし、お互いにかなりひどいことも言った。

別れてからは、一度も連絡を取っていない。

写真フォルダを探すと、高校時代に撮った彼女の写真が一枚だけ残っていた。

僕はそれをコンビニで印刷した。

今考えれば、この時点でやめておけばよかった。


彼女もオカルトが好きだった

そういえば、彼女も昔からこういう話が好きだった。

僕以上に詳しかったかもしれない。

心霊写真や呪いの動画、ネットの怪談などを見つけると、よく僕に送ってきた。

付き合っていた頃、一度だけこんなことを言われたこともある。

「写真って、その人の一部みたいなものなんだって」

僕が、

「何それ、呪いの話?」

と笑うと、彼女も笑っていた。

「だから写真は大事にした方がいいよ」

そんな会話だったと思う。

そして、もう一つ。

付き合っていた頃、彼女が僕の家に遊びに来たことがあった。

そのとき、母親が出してきた昔のアルバムを二人で見た。

小学生くらいの僕が、ランドセルを背負って笑っている写真を見て、彼女はかなり気に入ったらしい。

「これ一枚ちょうだい」

そう言われた。

同じ写真が何枚かあったので、僕は一枚だけ彼女に渡した。

別れたときに、貸していた物はいくつか返してもらった。

けれど、

あの写真だけは返ってこなかった。

そんなことを、その夜の僕はすっかり忘れていた。


午前1時の公園

深夜1時を過ぎた頃。

僕は自宅近くの公園へ向かった。

昼間は子どもたちが遊んでいる普通の公園だ。

しかし深夜になると、人の姿はまったくない。

道路を走る車の音が、遠くから聞こえるだけだった。

公園の中央に一本だけ古い街灯が立っている。

僕は、その真下に立った。

オレンジ色の光が僕を照らす。

足元には、長い影が伸びていた。

僕は影をじっと見つめた。

最初は何も起こらなかった。

「やっぱりただの噂か」

そう思った、そのときだった。

影の右肩あたりが、

ゆらっ。

と動いた。

風で動いたわけではない。

僕自身も動いていない。

それなのに、

影の輪郭だけが煙のようにぼやけている。

心臓が強く鳴った。

噂と同じだった。

僕はポケットから、一枚の写真を取り出した。

元カノの写真だ。


写真を破った

少し迷った。

本当に何か起きるのではないか。

そんな考えが一瞬だけ頭をよぎった。

しかし、

「そんなわけない」

と自分に言い聞かせた。

そして、

写真を真ん中から二つに破った。

ビリッ。

静かな公園に、紙の破れる音が響いた。

その瞬間だった。

僕の影のすぐ横に、

もう一つの影が立っていた。

「……え?」

息が止まった。

人の形をしている。

しかし、そこには誰も立っていない。

街灯の光の中に、

真っ黒な人型だけが立っている。

顔はない。

目もない。

服もない。

ただ黒い。

影そのものが、人間の形になって立っているようだった。

ナナシ。

僕は直感的にそう思った。

逃げようとした。

だが身体が動かなかった。

次の瞬間、

黒い人影が地面へ崩れた。

まるで水のように平らになり、

地面を滑りながら、破れた写真へ近づいていく。

そして、

写真の上へ覆いかぶさった。

ほんの数秒だった。

黒い影も、

破った写真も、

跡形もなく消えていた。

僕は叫ぶこともできず、その場から走って逃げた。


「元カノって誰?」

翌日の昼過ぎ。

ほとんど眠れなかった僕は、自分の部屋で昨夜の出来事を考えていた。

夢だったのではないか。

疲れて幻覚を見ただけなのではないか。

そう思いたかった。

しかし、破った写真はどこにもない。

気になった僕は、高校時代の友人に電話した。

彼女と同じクラスだった男だ。

少し雑談をしたあと、僕は聞いた。

「そういえばさ、あいつ今どうしてるか知ってる?」

友人が聞き返した。

「誰?」

僕は元カノの名前を言った。

しばらく沈黙したあと、

友人は困ったような声で言った。

「……誰だよ、それ」

僕は笑った。

冗談だと思ったからだ。

「いやいや、高校の時に俺と付き合ってただろ」

「同じクラスにいたじゃん」

しかし友人は本気で分からない様子だった。

「お前、高校のとき彼女なんていたっけ?」

背中に冷たい汗が流れた。

僕は彼女のフルネームを言った。

部活も言った。

席の場所も言った。

それでも友人は、

「そんな女子はいなかった」

と言った。


消えていた

電話を切ったあと、僕はSNSを開いた。

彼女のアカウントを検索する。

出てこない。

名前で検索する。

出てこない。

昔のメッセージ履歴を探す。

ない。

何年も付き合っていたはずなのに、

彼女と交わしたメッセージが一件も残っていない。

写真フォルダを開いた。

二人で撮ったはずの写真を見る。

そこには僕一人しか写っていなかった。

遊園地。

夏祭り。

高校の文化祭。

どの写真も同じだった。

僕の横に誰かが立っていたはずなのに、

最初から僕一人で撮った写真のようになっている。

その瞬間、

僕は理解した。

ナナシの噂は本当だった。

僕は写真を破ったことで、

一人の人間をこの世界から消してしまった。


卒業アルバム

急に吐き気がした。

軽い気持ちだった。

何も起こらないと思っていた。

嫌な別れ方をした相手とはいえ、

本当に消えてほしいと思っていたわけではない。

僕は押し入れを開け、高校の卒業アルバムを取り出した。

震える手でページをめくる。

クラス写真を開いた。

彼女がいた場所を覚えている。

二列目の右から四番目。

しかしそこには、

不自然な隙間が空いていた。

周囲の生徒だけが少しずつ中央へ寄っている。

まるで、

最初から彼女だけ存在していなかったように。

個人写真のページにも彼女はいなかった。

名前すら載っていない。

「僕が……」

声が震えた。

「僕が消したんだ……」

胸が苦しくなった。

僕はアルバムを閉じようとした。

そのときだった。

何かが床に落ちた。

パサッ。

写真だった。


見覚えのある写真

僕は床に落ちた写真を拾った。

古い写真だった。

かなりくしゃくしゃになっている。

そして、

真ん中から二つに破られていた。

写真には、小学生くらいの男の子が写っていた。

ランドセルを背負っている。

玄関の前で笑っている。

僕はしばらく、その写真を見つめていた。

そして思い出した。

「……これ」

喉が乾いた。

僕だった。

しかも、ただの僕の写真ではない。

僕はこの写真を知っている。

高校時代。

元カノが僕の家に遊びに来たとき、

「かわいいから欲しい」

と言って持って帰った、

あの写真だった。

別れてから一度も返してもらっていない。

つまり、この写真は、

昨日まで彼女が持っていたはずのものだった。

それがなぜ、

僕の卒業アルバムの中から出てきた?


最後のメッセージ

そのとき、もう一つ思い出した。

別れてから数か月ほど経った頃。

彼女から一度だけ、奇妙なメッセージが届いたことがあった。

内容は短かった。

「ナナシって知ってる?」

僕は意味が分からず、

「何それ?」

と返信した。

しかし返事はなかった。

しばらくして、そのメッセージ自体も削除されていた。

当時は、また変な都市伝説を見つけたのだろうと思っていた。

今なら分かる。

彼女はナナシを知っていた。

僕よりも前から。

僕は破れた写真を見つめた。

まさか。

そんなはずはない。

しかし考えれば考えるほど、ひとつの可能性しか残らなかった。

昨夜、

僕が彼女の写真を破った。

ナナシが彼女を喰い始めた。

そして彼女は、

自分が消されようとしていることに気づいた。

ナナシの存在を知っていた彼女なら、

何が起きているのか理解できたのかもしれない。

そして完全に消えてしまう前に、

彼女も街灯の下へ行った。

手には、

何年も前に僕からもらった写真を持って。

そして――

僕の写真を破った。


彼女は最後に僕を選んだ

僕は急いで破れた写真を裏返した。

裏面に、黒いペンで小さな文字が書かれていた。

見覚えのある字だった。

彼女の字だ。

そこには、たった一言だけ書かれていた。

「見つけた」

手から写真が落ちた。

どういう意味なのかは分からない。

僕がナナシを試そうとしていることを、彼女が知っていたのか。

それとも僕に消され始めたあとで、犯人が僕だと気づいたのか。

もう確かめる方法はない。

彼女はこの世界から消えている。

僕以外、誰も彼女を覚えていない。

それでも一つだけ確かなことがある。

彼女は消える前に、僕の写真を破った。

そしてナナシは、

写真を破った人間ではなく、

破られた写真に写っている人間を喰う。

次は、

僕だ。


僕の影

僕は慌てて部屋の姿見の前へ走った。

鏡を見る。

まだ僕は

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